福岡県北九州市に暮らす溝上トメさんは、2024年に110歳を迎えた今もなお、自分のペースを大切にしながら、日々を穏かに重ねておられます。地域の人々に長年親しまれ、敬意をもって見守られてきたその穏やかな暮らしぶりには、現代を生きる私たちへの静かな示唆が込められています。今回の訪問では、ご本人が語ってくださった「長寿三原則」を手がかりに、これまでの人生の歩みや、今の暮らしの様子をそっと辿っていきます。
腕時計と共に、自分らしく過ごす日々
1914年10月25日生まれの溝上さんは、現在も腕時計を身につけ、時の流れを大切にしながら、穏やかに暮らしておられます。介護施設での生活においても、食事や入浴の時間以外は自らの意思で過ごし方を決め、食事用エプロンを丁寧に畳んだり、家族や友人に手紙をしたためたり、新聞広告を活用して紙製のごみ箱を手作りするなど、日々を実りあるものにされています。
取材当日は、ご自身で縫われた上着をまとい、丁寧にお化粧を整えた笑顔で、にこやかに出迎えてくださいました。
溝上トメさんの三つの心得 -「長寿三原則」
長寿の秘訣について尋ねると、溝上さんは次の三つの「長寿の原則」を穏やかに語ってくださいました。
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他人と争わない
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今日の悩みは明日には忘れる
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食べすぎない(腹八分目)
お願いすると、氏名と生年月日を添えて、この三原則をスケッチブックに丁寧な文字で書き記してくださいました。その筆跡からは、110年を超える人生を支えてきた落ち着きと、芯の強さが静かに伝わってくるようでした。

(The handwritten “Three Principles for a Long Life” by Mrs. Mizogami – shown during the LongeviQuest visit, 5 April 2025)
姉妹三人、そろって100歳超え
鹿児島県肝属郡田代村の酒造業を営む家庭に、9人きょうだいの末っ子として生まれた溝上さん。兄たちの多くは若くして亡くなりましたが、姉妹三人はそろって100歳を超え、現在もトメさんは110歳で健やかに日々を重ねておられます。2000年には、鹿児島で「中園三姉妹長寿祝いの集い」が開催され、親族や友人およそ100名が祝福に駆けつけたといいます。
9歳で母を亡くし、祖母や姉兄に見守られて育った幼少期。「自分の子どもには、同じ寂しさを味わわせたくない」と、長生きを心に誓ったと語っておられました。
夜学で学び、台湾で結婚 波瀾の時代を生きて
小学校高等科を卒業後、大阪へ渡り、日本初の夜間女学校に進学。昼間は繊維工場で働きながら、夜は学びに励む日々を送りました。
23歳の時、台湾にいる兄から「危篤」との電報を受け、現地へ向かいましたが、それは実は縁談のためのきっかけ。紹介された日本郵船の船員と出会い、そのまま結婚されました。戦時中には3人の子どもを出産しましたが、うち2人の息子は幼くして亡くなられました。
終戦後の1946年、アメリカのリバティー号で日本に引き揚げ、和歌山県田辺港に上陸。その後、福岡県北九州市に落ち着きました。夫の定年後には鮮魚店を営みながら、地域との交流を楽しんでこられました。

(Mrs. Tome Mizogami with her grandniece and Yamamoto from LongeviQuest Japan. – LongeviQuest visit, 5 April 2025)
手仕事と仏道、知的好奇心に支えられた暮らし
95歳でミシンを買い替えられてからも、洋裁や刺繍、パッチワークなどの手仕事を楽しまれ、109歳まで針を持ち続けてこられました。
手料理も得意で、煮物や天ぷらを近所の方々におすそ分けするなど、地域とのふれあいを大切にされてきました。
若い頃に三度訪れた高野山では、弘法大師に長寿を祈願されました。それ以来、毎朝仏壇に向かい、水を供えて般若心経を唱えるという習慣を、109歳まで続けてこられました。
また、新聞にも毎日目を通され、知的な刺激を暮らしの一部として大切にしておられました。
地域に見守られ、感謝を忘れずに
日々の暮らしでは、通院などの場面で大姪(姉の孫)の支援を受けながらも、溝上さんは109歳まで自宅での一人暮らしを続けてこられました。
地域の方々に対しては常に感謝の気持ちを忘れず、清掃活動に参加できない時には代わりにお茶をふるまうなど、温かな交流を大切にしてこられました。
その人柄は地域の人々からも深く慕われており、介護施設への入居が決まった際には、近隣の方々が総出で盛大なお見送りをされたというエピソードも印象的です。

(Mrs. Mizogami smiles while leaning against the Hello Kitty cushion she received. – LongeviQuest visit, 5 April 2025)
今回の訪問では、LongeviQuest Japanより以下の記念品を贈呈しました。
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北九州市最高齢者としての表彰プレート
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ハローキティの背もたれクッション(“かわいいもの”がお好きなトメさんのために)
クッションを手にされたトメさんは、「かわいいねぇ」とにっこり微笑まれ、背中に当てて気持ちよさそうにされていました。
110歳の日々を、しなやかに
103歳の時には大腸からの出血で三か月間入院されました。体調が大きく崩れ、ご家族も深く心配されたそうですが、見事に回復されました。109歳での転倒により尾てい骨を骨折された後、介護施設に入居。2024年に行われた餅つき大会では、杵を持って餅をつく姿がブログで紹介されており、当時も健やかに過ごされていたことが伝わってきます。
2025年1月には再び転倒して背中を圧迫骨折されましたが、入院は選ばず、施設内での療養を続けられました。2025年4月現在では、歩行器を使って自力で歩けるまでに回復しておられます。

(Mrs. Mizogami regularly practices walking with the handrail as part of her daily rehabilitation. – LongeviQuest visit, 5 April 2025)
記憶を語り、歴史を生きる
取材のなかで特に印象的だったのは、溝上さんがこれまでの人生を、場所や人名、時系列を正確に覚えたまま、流れるように語ってくださったことです。その語りは、まさに“生きた証言”であり、“生きた歴史”そのものでした。
若い頃から知的探求心を大切にされ、戦中の台湾や戦後の引き揚げといった時代の荒波を、静かに乗り越えてこられた溝上さん。109歳まで自立した暮らしを続け、110歳を迎えた今もなお、日々を楽しもうとするその姿勢は、世代や国を越えて、人々の心に温かな感動を残すに違いありません。

(Mrs. Mizogami stands with her plaque recognizing her as the oldest resident of Kitakyushu. – LongeviQuest visit, 5 April 2025)

(LongeviQuest visit, 5 April 2025)
最後に、溝上トメさんとご家族の皆さま、そして今回の訪問に快くご同行いただいた大姪様、さらに日々心を込めて支えておられる介護施設の職員の皆さまに、心より感謝申し上げます。
溝上さんのこれからのご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げるとともに、また次にお目にかかれる日を楽しみにしております。
取材・文:山本優美(2025年4月5日/福岡県北九州市にて)
写真:大橋弘嗣